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「水を運ぶ選手」鈴木啓太 〜浦和で過ごした16年〜

10月20日、彼は長文のフェイスブックで今季で16年在籍した浦和レッズを退団する意思を伝えた。
「昨シーズン終盤からフィジカル面で不安のある中プレーしてきましたが、自身の最高のコンディションでなければ、トップを争っていくこの浦和REDSでプレーすることは簡単ではなく、今のままの自分では力になれないということを、クラブ、監督と時間をかけ慎重に話し合ってきました。」16年在籍したからこそ、この浦和レッズというクラブを一番知っているからこその決断。それぞれたくさんの想いがレッズサポーターにはあると思うが、私は本人が決したその意思を尊重したい。
Facebookページ:https://www.facebook.com/keita.suzuki.7505468/posts/469316253250319


着実にプロの階段を上がった5年間


2000年当時J2だった浦和レッズに加入した。天皇杯で初出場すると、プロ初ゴールを決め華々しいキャリアをスタートした。翌年に、当時31番の背番号を現在でも背負っている13番に変える。浦和も舞台を変えてJ1で戦う中で、啓太は着実に出場機会を重ねた。2001年8月の神戸戦でリーグ戦初出場を果たすと、その1ヶ月後の9月にFC東京戦でリーグ戦初得点を決めた。2002年浦和に就任したハンス・オフト監督に見出されると、ボランチとしてレギュラーに定着。その頃にはU-22日本代表のアテネ五輪予選で招集されるようになる。2003年には当時ではキャリアハイの40試合に出場する。ナビスコカップを優勝し、サッカー人生で初のタイトルも獲得した。アテネ五輪最終予選ではキャプテンを務めてチームを牽引するも、本選では山本昌邦監督に選ばれず。出場を果たすことはできなかった。2004年オフト監督が退任し、ギド・ブッフバルト監督が新たに就任すると、さらに啓太は信頼を勝ち取りポジションを確立していく。リーグで得点は無かったものの、クラブは2ndステージを優勝に貢献する。年間順位では1位に立つも、チャンピオンシップで敗退し、年間優勝は果たせなかった。2005年には本人初の書籍を執筆し、3月には「keita#13」を発売した。リーグ戦では最終節まで優勝を争うも、ガンバ大阪に次ぐ2位で終える。天皇杯では浦和レッズとして初めての決勝進出した。元旦の国立競技場で、地元のクラブである清水エスパルスと戦うと2-1で勝利し優勝を決めた。


リーグ戦初優勝とオシムとの出会い、そして…


2006年は鈴木啓太にとって転機となるシーズンだった。クラブでは初のJリーグ年間優勝を果たす。一昨年、昨年とあと一歩まで迫りながらも逃してきた優勝皿をようやく手に入れた。当時は多くの日本代表が名を連ね、ポンテやワシントンのような強力な外国人も在籍していた中で、啓太は試合に出続けた。エースとして試合を決める選手がいる傍ら黒子役としてチームを支えた。そのクラブでの活躍は、当時の日本代表監督であるイビチャ・オシム監督の目にも止まる。するとキリンチャレンジカップのトリニダード・トバゴ戦でA代表初出場を果たす。豊富な運動量と危機察知能力の高さを監督から評価される。汗かき屋として無理をせず、堅実なプレーをする彼に「水を運ぶ選手」とオシム監督から褒め言葉を受けた。以後オシムジャパンの全ての試合で啓太は先発出場を果たした。
オシムジャパンでは中心として活躍 Photo by Getty Images
オシムジャパンでは中心として活躍 Photo by Getty Images
2007年もクラブの中心として活躍。リーグ優勝は最終節で逃すもAFCアジアチャンピオンズリーグで初出場ながら初優勝を飾る。表彰式では怪我で離脱していたキャプテンの山田に代わり啓太がカップを掲げた。さらにFIFAクラブワールドカップでアジア代表として出場し、ACミランなど各国の王者たちと真剣勝負をする舞台を経験した。代表ではアジアカップで優勝はならなかったものの全試合出場し、「今大会で最も成長した選手」と評された。この年は浦和と代表で64試合に出場する。06年と07年でJリーグのベストイレブンを受賞するなど、啓太にとって順風満帆といえるシーズンであった。2008年に前年の代償を払うこととなってしまう。チームの成績も振るわず、個人としては扁桃炎や度重なる怪我に悩まされ、苦しい1年を送った。代表でも監督が岡田武史に代わると徐々に出場機会を減らしていった。
ACLではキャプテンとしてトロフィーを掲げた Photo by Getty Images
ACLではキャプテンとしてトロフィーを掲げた Photo by Getty Images

チームキャプテンとして苦闘した3年間


2009年山田暢久に代わってキャプテンに就く。フォルカー・フィンケ体制になり、4バック2ボランチの形が増え、阿部勇樹と共にボランチを形成する。夏場に7連敗を喫するも、9月の川崎戦では2年ぶりのゴールも決め、浦和の厚い中盤を担った。2010年では前年までサイドバックとして起用されていた細貝萌がボランチとして定位置を掴み、出場機会を減らす。夏に阿部勇樹が海外移籍を決断し、ボランチの層が薄くなったタイミングで自身も怪我が重なって、レギュラー確保とはいかず。ある雑誌では、実力はあるのに試合に出ていない選手の1人や来季の放出候補に挙げられてしまうなど昨年の半分程度の試合にしか出ることができなかった。2011年は鈴木啓太がキャプテンとして最も苦しいシーズンだったといえる。序盤から黒星を重ね、チームは残留争いに飲み込まれる。9試合勝利から見放されていた浦和が、6月の福岡戦でようやく勝利をモノにした試合で先制点を取ったのは啓太だった。監督がゼリコ・ペトロヴィッチから堀孝史に代わると4-1-4-1の1ボランチとして重宝され、自らもJ1残留のために身を粉にして戦った。さらに苦しいながらもナビスコカップでは決勝に進出。延長の激闘の末に鹿島に敗れた。後半早々に熱くなってしまいイエローカードを連続で貰い退場してしまった山田直輝に対して「優勝した鹿島がトロフィーを掲げている姿をしっかりと焼き付けておけ」と言葉を送るなど若手にもキャプテンとして、改めて選手たちを引き締めた。

ミシャに求められた新たな鈴木啓太


2012年浦和レッズの監督に就任したミハイロ・ペトロヴィッチ監督から受けた指示は、“水を運ぶ”スタイルとは全く異なるものだった。攻撃時のフォーメーション、4-1-5の大事な“1”を任され、中盤から決定的なパスをさばき得点に絡む。目の覚めるような縦パスを何度も送り、攻撃のスイッチを入れた。更にこの年に復帰してキャプテンを務めた阿部勇樹とのコンビが復活し、ほぼ全試合に出場した。このプレースタイルを確立すると、リーグ戦で初の複数得点も記録し、新たな鈴木啓太として完全復活を果たした。第32節の広島戦では1ゴール1アシストの大活躍を見せて、優勝の可能性があった広島を粉砕した。
Photo by Getty Images
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2013年も夏場の数試合の離脱を除くとフルで試合に絡み、その離脱した数試合で勝ちを逃してしまうなど、未だに存在感と高さを感じさせた。更に5年ぶりにACLに出場し、優勝を知る数少ないメンバーの一人として奮闘した。その年の王者である広州恒大を退けるなど勝ち点10を獲得するも全北現代と得失点差で決勝トーナメントには上がれず。リーグ戦ではラスト3試合で3連敗を喫し優勝争いから大転落で6位でシーズンを終えた。


鈴木啓太の決断


2014年序盤はスタメンで出場するも、大宮アルディージャから移籍してきた青木拓矢が怪我から復帰を果たすと、スタメンを譲る形となった。リーグ戦では首位を独走し、優勝は時間の問題かと思われた。その中で青木と変わりながらもチームを支えてクラブに貢献してきた啓太だったが、第31節・横浜Fマリノス戦の試合中に突然体調不良を訴え後半開始と同時に交代。後日ドクターから不整脈と診断され、シーズン終了までは経過を観察という状態となってしまう。そして悲願のリーグ制覇のために迎えた3連戦。昨年の悪夢を振り払うべく挑むもガンバとの直接対決に負け、鳥栖には終盤に追いつかれ引き分け。最終節、大観衆の見守る中で状態が安定してした啓太を途中出場させる。しかし、後半44分啓太が再三チームを救ってきた縦パスは、名古屋の選手の元へ渡ってしまう。そしてそのボールは快速FW永井謙佑が、無情にもゴールネット左隅に確実に決めて名古屋に勝利をもたらすとともに2007年と2014年の2度の大逆転V逸を経験してしまった。
悔しさをあらわにする啓太 Photo by Getty Images
悔しさをあらわにする啓太 Photo by Getty Images
不整脈はオフに再び検査を受けて手術の必要はないことがわかり、万全な状態を整えることを第一に啓太の2015年が始まる。しかし柏木のボランチ起用で青木がスタメンからはずれ、ベンチに座るとそのまま啓太にも出場機会が無くなってしまう。結果的にはリーグ戦では4試合のみの出場となる。ACLでは第6節のブリスベン戦で1アシストを記録し、勝利に貢献するも、その前にすでに敗退が決まっており、その試合で初勝利を挙げるなど、4回出場のうち過去最低で不甲斐ない結果となった。そして10月20日退団の意を表明した。11月22日に行われた2nd第17節・ヴィッセル神戸戦では出場は無かったものの、5-2の快勝を果たし、試合後のセレモニーにて鈴木啓太本人の口から“今シーズンをもって引退”とサポーターへ伝える。「浦和以外愛せるチームがいない」と現役を続けるか引退するかで迷ったときに出た結論がこれだった。啓太は涙ながらに自らの浦和愛を語り、「浦和の男で始まって浦和の男で終わる」決断を果たした。そして最後はレッズサポーターの元へ挨拶をしに行くと、「お前たち最高だ!」と笑顔を見せる。サポーターから選手から、そして浦和から愛されたキャプテンはセカンドキャリアも浦和レッズで活躍を願う。

Photo by Getty Images
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明日にはチャンピオンシップ準決勝のガンバ大阪戦が控えており、天皇杯のヴィッセル神戸戦も12月26日にある。現役の鈴木啓太を観れるのはあと数回しかない。リーグ戦は2位でチャンピオンシップ出場と、浦和レッズの選手もサポーターも、悔しい思いや何か突っ掛かりがあるかもしれないが、啓太のためにも、目の前の相手を倒して、残りの数試合を全力で戦ってほしい。天皇杯は勝てば勝つほど今季戦える試合数が増える。元旦での決勝で大観衆のレッズサポーターの歓喜が見られる瞬間を待っている。そして最後は啓太とともに笑って終れること信じて。

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コメントコメント

山本 衆平

山本 衆平 

さみしいですよね。選手としては、苦しい時期が多かった気がします。それでも腐らずにひとつのクラブにこだわった。いい男です。

FujiK

FujiK 

全盛期は本当に文句の付けようのない素晴らしい選手だったために寂しいですが、セカンドキャリアも頑張ってほしいですね。

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